雪が降ってきた。
このときはまさかあれほど大きなことになるとは想像もしていなかった。
僕はバーゼルという街にいた。スイスとフランスとの国境付近にある街だ。
旅の目的は好きな建築や名建築を見て周り、本物を体験してくること。
見たい建築をリストアップし、中に入れる施設の場合は開館時間を確認。必要によってはアポを取る。それをもとに宿と電車の指定席を取っていく。
それ以外のことは現地で何とかするのがいつものパターンだ。
旅の目的は人それぞれで、個性が良く現れる。古城を巡って歴史を感じる。オーロラを見て感動する。エステやショッピングでリフレッシュする。
僕の上司は美味しい食事とワインを求めてイタリアへ旅立つ。
どこに、どんな旅行をしてきたかでその人のなりや、その変遷や、興味への熱意が見えてくる。
僕の場合、それが建築だった。
今回の目的地の1つがスイスの田舎町にある小さな教会だった。
ピーター・ズントーという建築家が設計した建築で、名前を「聖ベネディクト教会」という。
土地の風土になじむ、素材とプロポーションが美しい建築だと思っている。
ただ、観光地ではないから、旅行会社に行ってもここを訪れるツアーはないし、現地への行き方も手探りだ。教会のホームページもなかった。
バーゼルを出発してスイスの首都ベルンに到着したころには雪はほとんど降っていなかった。完全に油断していたし、大抵こういうときにトラブルは起こる。今回もそうだった。
ベルンでは予定通り見たいところを回り終え、聖ベネディクト教会に向かうため、電車に乗った。事前に予約していた電車だ。
車窓から美しい景色を眺めていると車掌からどこに行くのかと尋ねてきた。
僕は予約している列車の予約表を見せた。
「その電車はさっき運休になった」
運休? さっき? その電車?
一瞬何を言っているのか理解できなかった。
ベルンを出るときには電車の運休は聞かなかったし、今も雪は降っていない。
「このまま乗っていっても、次に乗り換える電車はない」
不満げな私の表情をよそに彼は続けた。
「今日、ここまで行けなかったら、僕は聖ベネディクト教会が見れなくなるんだぞ! どうしてくれるんだ!」
と僕は言いそうにもなった。
「よくあることだし、俺にはどうすることもできない。そもそも聖ベネディクト教会って何だよ!」
そう言い返されても仕方のないことだ。
そして、僕は電車を降りた。
このときになっても僕はまだ、この雪の重大さに気がついてなかった。
日本でいえば、東京から北陸新幹線で金沢まで行き、そこからサンダーバードで京都に向かおうと予定したところ、北陸新幹線の車内で一旦東京に戻れと言われたようなイメージだ。
いま辿ってきた方向の電車に乗り直し、気を取り直して目的地に向かう。
それから3回電車を乗り継ぎ、僕は目的地の最寄駅に到着した。
駅とはいっても申し訳なさげにあるプラットフォームとこぢんまりとした駅舎しかない。もちろん駅員はいないから教会までの行き方も聞けないし、駅前に出ても舗装もされていない駐車場と、車一台が通れる幅の通路があるだけ。
ここが「モン・サン=ミシェル」など有名な観光地であれば交通手段はいくらでもあるのだろうが、残念ながら、公共の交通機関もなく、タクシーも止まっていない。案内板すらない。
目的の教会はここから歩いて一時間弱。僕は覚悟を決めて歩き始める。
辺りを見渡すと、道路の雪は綺麗に除雪されているが、道路の脇には雪が積もっている。
目的地までは基本登り道。片側一車線ずつある広めの道路に出た後、もう一度細い道に入ってく。
すると、その細い道に入るところに看板が立っている。
「自動車以外進入禁止」
僕は文字が読めなかったことにして先に進む。
進むにつれて道路が凍結してくる。
そして、もう一度、進入禁止の看板。
僕は引き返すことにした。
次の電車が来るまでにはまだ時間があった。
僕は駅の近くにある別の教会に足を運んでみた。
ちょうどミサが終わろうとしていたところだった。
そこには何台かの車が停まっていた。
僕は思い出した。
「自動車以外進入禁止」
僕はミサが終わって教会から出てくる人に話しかけた。
全力のプレゼンだった。
なんと、一人で来ていた男性が送ってくれることとなった。
「これで見られる!」
除雪されていない道を進む。一度タイヤが雪に埋もれ、外に出て車を押すことになったが、そんなことはトラブルでもなんでもなかった。私にはワクワクしかなかった。僕にとっては、彼は教会から出てきたイエス・キリストだった。
これを見るためにスイスまで来た。
スイスでもトラブルを乗り越えてここまでたどり着いた。
目的地まであと10m。
僕はその教会に入ることはできなかった。
最後まで雪だった。
手を伸ばせば届きそうなところにあるのに入れない。
建物のアプローチに積もる2m近い雪は、僕を断固拒否する意思表示をしていた。
僕はまた僕のイエス・キリストの方を向いた。
「どうにか入る方法はないかな?」
彼は困った顔をしながら謝ってくれた。
ただ、近所の教会をここまでの執念をもって見に来てくれたことについてはとても喜んでいるようだった。
次の目的地が待っている。
僕はお礼を言い、駅まで送ってもらった。
また来よう。前向きにそう思った。
僕の旅は常に建築が最優先だった。
とてもストイックに建物を見て回っていた。早朝はだれもいない建物の外観を見るのが好きだ。昼建は建物の中に入れるところを中心に回り、夜は中に入れないところを外から見に行く。陽が落ちて、建物自体が見られなくなってから観光スポットに行ってみる。
東北の建築を見にいったときは、青森でねぶたを見ずに次の日に備え、盛岡では日没ギリギリに間に合いそうな建物を見るためにわんこそばを食べずにマックを食べながら移動し、山形にある土門拳美術館では作品をそっちのけで建物と展示の構成を見ていた。
今回、こんなにもこだわっていたのに、すがすがしい気持ちになったのはなぜだろう。
その後の旅がとても楽しいものになったのはなぜだろう。
正確な答えはわからない。
でもこのころから僕の旅は変わってきた。
行ったことのあるところを旅程に入れ、再訪するようになった。
建築以外にも旅の楽しさが広がってきた。
また、雪のない聖ベネディクト教会を訪れたい。
また、豊かな気持ちになれる人達と出会いたい。